一説は、五島一官という人が、長崎へ伝え、そこで作らるように
なったという文献があるそうです。
もう一説は、堺の薬種商・小西弥十郎如清というひとが製造方を朝鮮半島で学んで
堺で製造したのが始まりという説があります。
どちらの説も史実に疑問がありたしかとはいえないみたいです。
でも、長崎には、線香生産を受け継いで痕跡がないことから、
現在も線香の生産が続く堺が発祥の地という可能性が大きいとしか言えないのが
現状です。
なぜなら、はっきりとした記録が残っていないからです。
その理由は、戦争が原因で記録が燃えてなくったとも言われています。
そんなことで、絶対ここということは、わからないようです。